ここのところイベントの仕事が立て込んでいたのですが、ひと段落して今度は久しぶりにグラフィックのお仕事を頂き、そのお礼に横浜にやって参りました。横浜に来たからには手ぶらで帰るわけにはいきません。そう。ラーメン二郎横浜関内店に久しぶりの訪問です。13:30着で並び25に接続。30分ほどで着席出来ました。横浜関内店に来た時はいつも汁なしを頼む事が多いのですが今回はラーメンです。コールはニンニク少しアブラカラメ。美味しい。スープは微乳化のコクのあるもの。豚は安定の巻きブタでトロトロ。麺はコシを残した小麦を感じるパワフルなもの。ヤサイはシャキよりの歯応えを感じる物。全てが高いレベルで絡み合っています。最近は加齢からか食欲も落ちているのですが夢中で食べすすめて無事に感触。二郎はスープさえ飲み干さなければ炭水化物、タンパク質、食物繊維と完全食と言われています。美味しかった。ご馳走様なのです。
もん吉 退院
もん吉(モンキーz50a)が無事退院しました。相模湖ツーリングの帰り道で突然アクセルを開けるとエンストするという症状にみまわれ不動となりレッカーでショップに持ち込みました。そして2週間がたち元気になったもん吉。エンジンがストールする理由は点火タイミングの狂いでした。もん吉はポイント点火という古いシステムです。エンジンが回転する事によってジェネレーターで発電してピストンが上死点になる直前でコンタクトブレーカーがカムで動かされプラグに通電してスパーク、混合気が爆発してピストンが押し下げられパワーを得るの繰り返しをしている訳ですが、このコンタクトブレーカーが動くタイミングがズレてしまい爆発してくれないという事でした。点火タイミングを調整してあっさり絶好調となったもん吉ですが、不安はあります。点火タイミングが突然こんなに大幅にズレた原因が不明なのです。各ボルトは緩んでおらずこんな事になるなんて理由がわからないというのです。という事はまた点火タイミングが狂ってしまう可能性は高いのです。困ったものです。
もん吉とまる
つづきです。相模湖からの戻りで多摩地区のアップダウンの連続する道で下りを降り切って信号で停車すると同時にエンジンストール。すぐに再度始動させて走りだす。しばらくするとまたストール。アクセルを開くとストールするという症状が発生。混合気がよくないのかと想像し歩道に乗り上げてキャブを色々弄ってみますが、改善しません。症状はキックスタートでエンジンはかかります。アイドリング状態は保っていますがアクセルを開けるとエンジンストールするという状態。なので走れません。お店に電話して対応策を相談しますが路上で出来ることはないと判断。レッカーを呼びました。どうやら点火タイミングに関わる何処かが破損している可能性が濃厚との事でまた入院です。とほほ つづく
変速の癖
もん吉(モンキーz50a)の1速→2速に入りにくい問題。癖と言えるレベルで解決しています。クラッチアウターカバースクリューの緩みを締めたことで1速にはスコンと入ります。1速→2速はトロトロ走っている時はシフトペダルをトン(ニュートラル)・トン(2速)と容易に変速できます。流れのある道での信号からのスタート時は1速でそこそこ引っ張るので今まではグニュ(空振り感)・グニ ュ(空振り感)・ゴニュ(ニュートラルに入った様な感触)・失速・ゴン(2速)・再加速する的な事が多かったのですが、1速から2速にペダルを踏み込む時にアクセルを戻さない又は軽くあおるとトトンとニュートラルの存在が無かったかの様に変速できます。つまり遠心クラッチエンジンですが、普通のマニュアルクラッチ車(車でもバイクでも)の様にエンジンの回転数を合わせてあげればクラッチを切る操作が必要がないのと同じ様にスムーズに変速ができるのです。もん吉以外遠心クラッチのバイクに乗ったことがないので本来の変速性能は知らないのですが、この事に気づいて先日の江の島ツーリングは最高に楽しかったのです。
RANDY RHODS
映画「ランディ・ローズ」を観てきました。ランディ・ローズとはヘヴィメタル界の大御所ozzy osborne(オジー・オズボーン)が1970年代終わりにブラックサバスを解雇され、ソロプロジェクトを進めるにあたりアメリカのLAで発掘した世界的には全く無名のギタリストなのです。当時ランディはLAのクラブバンド「クワイエット ライオット」でプレイしていたのですが、オジーの新しいバンドのオーディションにやってきて、ギターを練習用のアンプで軽くシャカシャカ弾いただけでオジーが「もういいよ。君に決めた。」といい、合格したという。オジーの狂気に満ちた悪魔のような存在と相反するランディのか細く繊細で天使のようなルックスと美しいメロディと攻撃的なリフはオジーのファーストソロアルバム「ブリザード・オブ・オズ」1枚で世界中のギターキッズ、ヘヴィメタルキッズを虜にしました。そして私もその一人。ランディ・ローズ、マイケル・シェンカー、エドワード・ヴァンヘイレンなど当時のスーパーギタリストを大音量で聞きまくっていました。そしてわずか2枚のアルバムを発表したのち全米ツアー中にツアースタッフが操縦する小型セスナ機に乗っていた時にミスで墜落、帰らぬ人となってしまったのです。このツアーは日本ツアーも予定されており、ランディの抜けた穴は当時売り出し中のナイトレンジャーのブラッドギルスがサポートで加入し日本公演が行われ、私も観に行っています。ランディがオジーに加わる前に在籍していたクワイエットライオットも一躍注目され「カモン・フィル・ザ・ノイズ」が世界中で大ヒットしたのです。映画はセミプロのクワイエットライオット時代のエピソードが多くオジーオズボーンのLive映像は殆ど無いのが残念。それでも感慨深い作品でした。