八ッ場ダム 慰安旅行その3

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旅の仕上げは八ッ場ダムです。八ッ場ダムは戦後すぐの昭和22年に襲ったカスリーン台風での未曾有の被害を受けて計画されました。うん10年に渡る地元で大規模な反対運動を乗り越えて平成4年に地元と握手をすることができて事業着工となります。そして15年ほど前、公共事業を批難する民主党が力を増していました。ワイドショーが一体となり自民党と公共事業を攻撃し、無駄だ、癒着だと揚げ足をとり連日攻撃したのです。そして民主党が政権をとり「ダムはムダ」とふざけた語呂合わせで平成21年に計画中止を発表。住民の多くが移転済み多くの工事が進捗している中での出来事でした。f:id:orangechango:20220326103253j:image忘れることはできません国土交通大臣前原誠司です。その後事業継続を願う地元からの声も多く2年ほどで中止宣言は撤回され再開されました。その後民主党政権は崩壊。悪夢の民主党政権時と呼ばれる様になりました。多くの困難を乗り換え平成31年に試験通水を開始し台風19号で早速利根川流域の洪水を防ぐ効果を発揮しました。八ッ場ダムとは仕事でも関わり民主党により勤務先を潰された私ですがこの様に立派に完成した八ッ場ダムを見られて感無量なのです。f:id:orangechango:20220326103257j:imageそして国土強靭化、国防、インフラをおろそかにし目先の人気取りの様な事ばかりを行う立憲民主党共産党社民党、令和新選組などの方々には二度と表舞台には出てこない事を祈るばかりなのです。